Posted 1 week ago
企画や調査では「必要条件」と「十分条件」を考慮しよう | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉



必要条件(necessary condition)とは「欠かしてはいけない条件」という意味だ。もとはラテン語で、Sine qua non(シーネ・クァ・ノン:ありえないことなしに)と言い、そのまま、”A sense of humour is a sine qua non.(ユーモアのセンスは不可欠)”と英語でも使える。

 だから、1教科でも合格することは必要条件になる。3科目合格も必要条件である。4科目だと必要十分条件になり、5科目合格は昇給に十分な条件なので十分条件(sufficient condition)になる。6科目合格も十分条件だ。

企画や調査では「必要条件」と「十分条件」を考慮しよう | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

必要条件(necessary condition)とは「欠かしてはいけない条件」という意味だ。もとはラテン語で、Sine qua non(シーネ・クァ・ノン:ありえないことなしに)と言い、そのまま、”A sense of humour is a sine qua non.(ユーモアのセンスは不可欠)”と英語でも使える。  だから、1教科でも合格することは必要条件になる。3科目合格も必要条件である。4科目だと必要十分条件になり、5科目合格は昇給に十分な条件なので十分条件(sufficient condition)になる。6科目合格も十分条件だ。
Posted 1 week ago
「必要条件」と「十分条件」については、こう考えてみるとよい。「自動車を走らせるにはガソリンを入れておく必要がある」のだから、「ガソリンを入れておくこと」は「自動車を走らせること」の必要条件だ。しかし、ガソリンを入れただけでは自動車は走らない。ほかにも「ドライバーが免許証を持っている」といった必要条件もある。こうした必要条件をいくつか集めると自動車を走らせるのに十分な条件になる。必要条件が一定数集まると十分条件になる。
Posted 1 week ago

大阪市はもちろん日本国中の「発達障害」に関わる人々からすれば、あまりの理解の無さに絶望するぐらいの内容だったのだ。だからこそ、これほど多くの声を上げたにも関わらずこの程度の報道しかなされないというのは、大型連休中だからなのか、いま「維新」批判をしても盛り上がらないからなのか、正直言って「発達障害」とか記者もよくわからないから触れたくないのか、いったいどれなのだろう。

 より直接的に施策に影響を及ぼすような「政治」「運動」には様々な関連団体等が関与するとして、いかにして正しい知識や情報を一般の人々に深めてもらうのか、という課題には依然として何の答えも見つけられていない(「それは地道な努力しかない」という答え以外で)。もう少し「ネットからはじまり、マスメディアに深められる啓蒙」が展開されるかと思ったのに。

たとえ85000回読まれたって - lessorの日記

政治への批判はこうした個々の論点をきっかけに浴びせてこそ一般市民に訴えうる可能性が高まるのだろうが、裏を返せば、その背後にある「思想」に問題を見出して責めても成果は上がりにくいんじゃないだろうか。だから、謝りを全面的に認めて撤回したものをこれ以上ほじくろうとは思わない(勉強したいとも言っているようなので、しっかり勉強してもらおう)。教育や福祉に関してさらなる批判をするならば、もっと別の問題を明るみに出したほうがよい。関係者による発信に期待。
Posted 1 week ago
私がもし将来偉くなって、自分の専門分野についてマスコミの方から意見を求められるほどの立場になったならば、絶対このような意見を新聞社によせるようなことはしないように、今後共日々精進したいと思います。研究者視点ではなく、実践的に日本人の健康に役立つようなことを言えるようになりたいです。例えば原発の時のように、地元民視点を失うような学者にはなりたくないです。僕はマスコミの文言に文句をつける草の根のネットの文章があったとして、それについて保身的なコメントを求めるマスコミ関係者がいたなら、「君、それはよくないよ。患者さんのために一番良いのはこれだ」といえるような、カッコイイ人間でありたいです。
Posted 1 week ago
日本の医学研究者が、英米的経験主義に基づく実践的な研究手法を好きではない(どちらかというドイツ観念論的なメカニズム解明を好む)ことは充分存じてはいるものの、こと感染症学に関しては特に実践的であるべきだろうと思います。かつては日本も、日本住血吸虫を日本から撲滅するという(地図で見ると日本住血吸虫なのに日本での分布がゼロであるという)快挙をなすなど実践的でありましたが、ワクチン義務化解除に現れているように昨今見る影もありません。その大きな理由として、「主要な大学医学部感染症科がほとんどない」ことが言えると考えています。感染症研究者はいます。国立感染研もあります。しかし、「感染症科専門の医師」があまりいないのです。アメリカには山ほどいる専門医なのに、です。これが、日本での実践的な感染症学の普及を妨げているような気がしてなりません。
Posted 1 week ago

わたしが文中に書きましたように、飛沫感染空気感染を厳密に分けて書こうとするCDCのやりかたは、医療現場での標準的な感染予防策構築が最大の理由です。研究者が「どちらかに分類することはできな」くっても、どちらかの対策をしなければならないのが現場の医療です。研究レベルでの振る舞いがどうであろうと、医者は結局眼の前の病原体がどちらかの振る舞いをすると考えて、それに応じた感染対策をするしかしょうがありません。「実践的」とはそういうことです。

どうしても空気感染飛沫感染がほとんど区別できないレベルで混在するとするならそれは空気感染とすべきです。そうでないと、それに飛沫感染予防策を適用した時の被害が大きいからです。このように実践的な理由で作られた、CDCのガイドラインには、インフルエンザについて、確かに前回記事コメント欄にhouyhnhmさんの書かれたような点が指摘されているものの、それでも現状ではルーチンでの空気感染予防策を行う必要はなく、「飛沫感染」に分類されています。

Posted 1 week ago
@yuki_o 「コンサルが100人いるむら」 70人が悪事に加担しています。10人が訴えられた経験があり、うち3人が服役中か前科をもっています。2人は行方不明か天国です……。100のうち90人が顧客の利益をのばせた経験がありません。って続くのかしら?
Posted 1 week ago
現場生活保護ワーカーは様々な利用者と日々関わっています生活保護ワーカーは一人あたり平均80世帯担当しています。その中には真面目に自立に向けて努力している利用者もいれば、生活保護の法の趣旨に反する受給態度をとる者(自立への意欲がなく、パチンコなどの遊技場に入り浸りとなったり、酒を飲んで隣近所に迷惑をかけるなど)、さらには不正受給を行う者、家庭訪問に出かけて女性生活保護ワーカーに身体的な危機が及ぶ場合などもあります不正受給やワーカーに身の危険が及ぶケースはそんなに多くないとしても、生活保護を受給しているということに関して一般市民が眉をひそめるような受給態度をとる利用者はどの生活保護ケースワーカーにも一人や二人は必ずいます。そのような生活保護利用者に直接関わり、またその利用者の周辺にいる市民からの苦情や通報生活保護ワーカーは対処しなくてはならないわけです。生活保護ワーカーにかかるそのストレスの強さは相当なものだと推測できます

生活保護受給者の情報、区役所職員がブログに - 遥香の日記

生活保護ワーカーがストレスをため込み燃え尽きを起こさないようにするためには、生活保護ワーカーが業務上の悩み後や困り事を相談でき、また困難なケースについて何らかの支援が受けられるシステムが必要なのだと思われます。しかし、現場の生活保護ワーカーを支援するようなシステムの構築が議論されることもあまり聞くことはありません。それどころか、それが欠如し生活保護ワーカーが現場で孤立していると思われる事件ないし不祥事はしばしば生じています。先日、さいたま市で起きた「市職員3人が生活保護受給者の男2人に脅され、扶助費1万8980円を不正に支給していた」事件*1などは支援体制欠如を露呈した事件とも言えそうです。  今回のブログ事件も当のケースワーカーはブログに自身の仕事に関する出来事を記していくことで日頃の業務上のストレスを減らそうとしていたのでないか。また、そのブログの文章の言外に生活保護ケースワーカーが助けを求める叫びが記されていなかったでしょうか。
Posted 1 week ago

障害のある受験生のみなさんが大学にチャレンジする意味とはなんだろうか。大学は、「社会に出るために、通過しなければならない必須ゾーンであり、重要なプロセスだから」だろうか。それとも、「障害を克服するため」だろうか。

大学とは現代社会を生き抜き、自らの人生を切り開くための「力」を身につける場所なのだと私は思う。日々多くの制約をかかえて生きている障害者であれば、なおのこと、そうした「力」を身につけることに意味があるだろう。そして大学とは、自らの人生にチャレンジし、飛躍するための「ジャンプ台」でもあると思う。

東京大学バリアフリー支援室

ところで、みなさんは自分の障害について、どう考えているだろうか。障害のあることは非常に苦労が多く、苦痛なことも多い。しかし、生きる上での深い部分で、プラスに作用する面もあるのではないか。それはみなさんの姿勢次第だ。 たとえば、障害があるという特殊な体験を通して、私たち障害者は「学ぶこと」「生きること」「幸せであること」「他者と共にあること」、そして「愛すること」といったテーマを、突き詰めて真剣に考えるチャンスを与えられている、と思ってみてはどうだろうか。それは理念としてではなく、日々の困難な体験を通して、そうした思索のチャンスが与えられているということだ。 こうした観点を踏まえたとき、障害のある私たちが大学に進学する意味も増大するだろう。私たちが大学で学ぶのは、この既存の社会の中で一定の地位や収入を得るためだろうか。たしかにそれも大切な目的だろう。だが、それだけではなく、私たちが障害を持っているという体験を通して、その体験に根ざした研究や施策、努力によって、新しい未来社会のあり方を想像し、創造することを目指すという目標も設定したい。 みなさん、東京大学で共に学び、力を身につけ、力を発揮していきましょう。
Posted 1 week ago

君には、才能がない。


 ま、才能なんて言葉は(たまにバカげた天才がいるってのは事実として)まやかしですけどね。それでも、表現するための内的な必然性がない、ということは、才能がないことに近似値なんです。あるいは、豊かな資質が、その自信のなさのゆえに発揮されないことに対する悔しさかもしれない。

 でもねー、資質あっても、表現する必然性がない人は、きっとしないよ。

 だって、表現する人は、だれにいわれなくても、するよ。しないと、自分が消えるから、するんだもの。絶叫っていうのは、そういうことだ。

Posted 1 week ago

教えること、ぶっ壊すこと、表現するということ - G.A.W.

「教える人として言えなかっただろうたった一言が真実すぎる。美輪明宏クラスの背骨ある人か、相手と一生向き合う覚悟がないと(表現者たらんとする)他人には言えない言葉だわ」

「「表現するための内的な必然性」 / 実際これに尽きるんじゃないだろうかといまは思っている」

「才能というか、「背骨を形成してまで向き合うもの」とのご縁なんでは、と。/一生志す何かを見つけ、そのための学問を探した帰結でなくば、大学はレジャーランドなのかなぁと。」

「しかし、自分の背骨としての表現と、お金を貰うための表現は違うよね。生活にイチイチアイデンティティを賭けられん。脳内妹を売りに出すわけないじゃん」

「「表現するための内的な必然性がない、ということは、才能がないことに近似値」/表現は業の病。」

「多分正解はこっち。で、「君には、才能がない」はもっと正確に言うと「君(の内面)には何もない、君が生きてきた人生、生き方には何の価値もない」って事と一緒。それを踏まえて、じゃあどうすんの、って話。」

「だがそれいうと二言めにはセクハラだのアカハラだのクズが騒ぐんだがw/才能のあるなし。てのは存在すると思う。しかし自分のことは誰にもわからないだけ。正確には「才能なんて問題じやない」地点にどう到達するか」

「何も無いことが悪いんじゃない。自分の中に無いのか在るのかを自分で確認しようとしないのがマズイ。それを先送りにするほど、殻を壊した時のダメージは大きい。そう、大きかった、自分の時は。 」

「これ、誰か言ってくれるの待ってた。でも敢えて補足するなら、「背骨なんてなくてもいい」ってこと。他人の判断基準で生きていったって別にいい。「どうしてそれが嫌なのか」すら考えて無いのに悩んでどうするよ。」

「全面的に同意。背骨を手に入れた時、攻撃を受け止められる鎧が同時に手に入る/表現がどーのと言ってる人は一連の文章が指し示す「表現」の意ぐらい文脈から汲めんのか。「ボクの定義と違う!」は余所でやりゃええ。」

「信用していた他人が信頼できなくなったとき「背骨」を欲する、って辺りに同意。孤軍奮闘とかいえば聞こえは良くなりますが結局は寄る辺ないだけなんですよね。」

Posted 1 week ago
繰り返しますが、この文章を書いた人が、本当に自分の背骨を持っている人ならば、このことは理屈以前の、どうにもならない実感をもって理解できるはずです。自分の背骨を持って生きることは凄惨なことである。素手で、この世界というわけのわからない化け物と格闘するような傷だらけの営為なのだけれど、それにもかかわらず、自分の背骨を持って、地球という、世界という、クソ重たい重力を持つものから直立し、はるか遠くを見渡すことはすばらしいことであると断言できる人だけが、他人にそれを要求できると思ってます。
Posted 1 week ago

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

 なんとなく見かけたので、さらっと。

 この手のことは、絶対に自己の選択から逃げられない限界状況を突きつけて(たとえばそれは「昼飯なんにする?」程度のことでもいい)、相手が真に自分の回答を出せるまで、辛抱強くつきあい、ときには叩き伏せ、必要とあらば自我をぶっ壊す覚悟を持ち、そして、なによりこれが絶対に必要なんだけど、「おまえが自分の回答を出すことは素晴らしいことで、俺はそれを望んでいる。それをしさえすれば、おまえは自由になれるんだ」という喜びを前提に相手に厳しく要求すること。そして、たとえ相手にとってどんな残酷な仕打ちをするときでも、それが愛情に由来していること。要は「俺は、ひいては世界は、おまえがおまえの確固たる意志をもって、この世界に誕生することを願っているのだ」ということなんですけど。

教えること、ぶっ壊すこと、表現するということ - G.A.W.

もしこの場合、彼に教える側の人にできることがあるとしたら「俺を倒せ、俺の屍を越えていけ」でしょうね。もちろん、力不足なら、遠慮なく叩きつぶす。叩き潰して、悲惨な泣き顔で、それでも彼が立ち上がって前に進みたいと思ったとき、すがる杖となるもの、それが彼にとっての背骨であり、人の世界の認識を変えるということは、知的な営為なんてものではなく、完全に殴り合いです。おそらく、重たくのしかかって、破壊するのが正解だったでしょう。それ以外に効率のいいやりかた、相手を尊重したやりかたなんてありえない。当人の自覚を待つということは、そこに「当人」の背骨の萌芽がなければならないわけで、それがない状況で「君は、ほかならぬ君じしんどう思うか」という質問は無意味です。それをするのなら、逃げを絶対に許さない限界状況を作らなきゃだめ、というのはさっき書いたとおりです。
Posted 2 weeks ago

ここまで美味しいそうに書かれたら、読むだけで唾が湧いてくる。数日前大阪の鶴橋で買ってきたポッサムキムチが幸い一回分だけ残っていることでもあるしベーコンもあるので、さっそく作ることにした。このポッサムキムチは牡蠣、貝柱、イカに魚肉など海鮮類の入っているのが特徴で、さらに各種の野菜に果実に木の実など素材の種類がとても多く、それだけに実にまろやかな旨味を醸し出している。生の海鮮類を別に取り出して、残りを適当な大きさに刻んだ。またベーコンはちょうどブロックがあったので5ミリ幅の薄切りにし、さらに角切りにした。調味料は一切使わず、キムチの漬け汁に湯を少し足してだし汁代わりとした。最後は卵とじの上に海鮮類を戻して出来上がり、5分もかからなかった。


食べ出すと驚いたことに小泉さんの書いた通りにことが進んだ。違うのは一口食べることに「美味い」という言葉が飛び出ることである。
Posted 2 weeks ago
»232
まず腹式呼吸は完璧ですか?
出来ているのが前提ですが
つまようじかコインなどの端を前歯でくわえ、下唇を押さえ付ける様にしっかりくわえて下さい。
アゴも下唇も動かせない様にするのが目的です。

次に鼻から腹式呼吸でため息を抜いて下さい。
次にそのため息に声を乗せて下さい。
次第に声が眉間あたりから上に抜ける感じがしてくるはずです。
慣れない内はここまでで三十分から一時間はかかると思いますが。
声が鼻から抜ける様になったら、新聞でもなんでも朗読して下さい。
上唇だけでしっかりと発音発声が出来る様に、鼻から声が抜ける様に意識しながら。

そのまま一時間も朗読すると、ボーカルレッスンでいう
「脳天から声を抜く」という言葉の意味が解ると思います。
これを毎日二時間行って下さい。
半年もすれば、「10メートル離れても聞こえる呟き」なんて真似が可能になります。